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2008年05月15日

自己啓発<5>「道はいつもひらかれている」

  『道はいつもひらかれている』作・古谷 綱武

 道は、すべての人の前にひらかれている。その人に、やる気があるかないかだけである。

 道は、すべての人の前にひらけている。しかし、道がとざされていると思う人の前に道はとざされている。自分はだめだと思うひとはだめになっていく。

 道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、自分が生きていくべき人生は、自分で発見していくよりほかにないのである。

 道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、いきがいとしあわせとを、つかみあてるその鍵は、自分の心の姿勢の中にだけしかない。

 道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、個性のない人生は、真実の人生ではない。たとえすぐれた人のまねをしても、まねをすることでつかみあてられる「自分の人生」というものは、この世にはないのである。

 道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、人生を暗く生きようとする人には明るい人生も暗くしか生きられない。人生を明るく生きようとする人だけが、暗い人生さえも、明るくいきることができるのである。

 道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、自分からあきらめてしまうことは、もはや生きることではない。その人の前では道もとざされる。

 道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、人が一度でやりとげることが、自分には、一度でやりとがられないこともある。一度でやりとがられないことは、十度やってみよう。十度やってもやりきれないことは百度やってみよう。

 道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、やりとげるまではけっしてあきらめないこと、そしてそのやりとげようとするその心をけっして失わないこと。

 道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、見栄や虚栄心、にくしみやうらみ、欲の深さや身勝手な自分本位、そうしたものに心をしばられていると、その心の束縛の不自由さによって、その人は、自分から自分の道をとざしてしまうことがある。

 道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、求める心があるならば、恥をかくことはけっしておそれまい。軽薄な虚栄心などに心を縛られまい。また、人をにくむことから得られるものは何もないことも、良く知っていよう。よくの深さは、かえって失うことが多いことも知っていよう。

 道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、自分から自分の道をとざしてしまうような、そういう自分の中のいっさいのものを、自分から捨て去っていくことが大切である。それを捨てさってしまったとき、ほんとうの自分が生まれてくる。道がひらけてくる。

 道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、すぐに、かんたに、分かった気持ちになってしまうのは、危険である。一だけを考えて一がわかったと思うのは、ほんとうに分かったことではない。百考えてやっと一が分かったというのが、ほんとうの分かったということである。

 道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、いつも、やわらかい頭をもって、早く判断する人でありたい。一だけを考えて、けっしてあやまることなく、たちまち一の判断ができるのが、生活力とよんでよいものである。ただそうした早い判断が、いつもあやまりでなくできるのは、その人が百を考えぬいてきた蓄積を、心の中に持っているからなのである。

 道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、よいことを確かに良いとわかり、悪いことをたしかに悪いと分かることが大切である。しかもそれは、ほんとうは、それほどやさしいことではないのである。そのむずかしさこそを良く知った人でありたい。

 道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、悪いことがたしかにわかるためには、よいことがたしかによいと分かる以上の、教養とセンスが必要である。そのことも、良く知っていたい。

 道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、たえず、知ろう、学ぼう、かんがえよう、とする意欲をもたないならば、人はその自分の人生の道を、歩きすすむ力を失うであろう。知り、学び、考えていくことが、自分の人生の道を歩いていくことだからである。

 道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、人によっては、自分にとっての一番やさしい道しか、歩こうとしない人もいるが、人によっては、自分を育て続けていくために、一番むずかしい道の方を、いっしょうけんめいあゆみ続けている人もいる。

 道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、そこで、権利意識ばかりをむやみにふりまわして、まったく停滞した空虚のなかだけに身をおいている人もいる。そうではあるがしかしまた、人間としての権利の意識をまったく自覚していない人は、とかく大切な責任の意識にも欠けている場合が少なくない。

 道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、したいことだけして、しなければならないことは、なかなかやろうとしない人もいる。しなければならないことこそを、したくなる人になりたいものである。

 道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、この人生はまた、その別の一方では、人にその道を見失わせるほどの誘惑と失望とのくり返しにも、導いていることを忘れてはならない。道は平坦ではないのである。それだからこそ、人生という道のあじわいは深いのである。

 道は、すべての人の前にひらかれている。しかし、世間に自分というものをあやまりなくわかってもらおうなどという期待は、持たないほうが良い。そうした期待に生きたいのであったら、世間の因襲に全面的に屈服して生きるよりほかにないのである。それは自分のない人間になることである。

 わかってもらえようともらえまいと、そんなことは問題にしないで、あくまでも、自分の真実にこそ生きつらぬいていこうとするとき、世間というものは、あんがい思いがけなくかえって自分を理解してくれるものなのである。

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